清流寺 先亡教務 |
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片桐堯英師 講師 |
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本唱院堯英法師
帰寂 昭和23年12月24日
行年 21歳
得度 昭和22年未明
病弱にて得度を決意、短い期間ながらもご奉公を貫かれる。 |
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馬場(乙ヶ迫)乗立師 講師 |
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本則院乗立日利法師
帰寂 昭和33年12月25日
行年 60歳
得度 昭和29年3月31日
得度親 上田(應声)日聚上人
乗泉寺にて得度、上田應声師について信心ご奉公を学び、
晩年清流寺へ移籍される。当時を知る教講は、お看経の
声たからかに荘厳で「声も惜しまず」とのご指導が印象深い
と語る。
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左より山本乗国師、藤田乗憲師、
馬場乗立師、本庄乗学師、
長谷川日序上人の直弟子として
乗泉寺にて得度。
昭和29年3月31日
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安田堯啓師 一等講師 |
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仁義院堯啓日拓大徳
帰寂 昭和50年8月17日
行年 75歳
得度 昭和24年 秋
得度親 井上(正慶)日慶上人
終戦、満州開拓団からの帰還者。生涯にわたり毎月犠牲者
の追善回向をたてられ、満拓団全ての霊の弔いを込めて霊
簿を作成し生存者たちによる懇話会として、清流寺へご有志
される。
信徒宅のお戒壇建立に尽力され昭和29年頃は毎日お戒壇
開きが奉修された。立教開宗700年に現証弘通で献身され
る。
この年、教化1000戸成就で清流寺は全国3位の表彰をいた
だく。
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川口 照妙寺 大川局長宅 御講
風景 昭和30年代
井上日慶上人(22世)ご住職時代
(前列中央)
安田堯啓師 (上人右隣り)
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藤田乗憲師 一等講師 |
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信寿院乗憲日邦大徳
帰寂 昭和55年4月11日
行年 90歳
得度 昭和29年3月31日
得度親 安田堯啓師
65歳の高齢にて得度、真面目で穏やかな性格で他の人が気
付かぬところに細やかなお給仕・心配りをされ25年にわたり
身・命・財のご奉公を成就される。
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乗憲師、乗国師、堯清師、日序上人、堯信師、乗学師、序正師

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松原序円師 講師 |
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本住院序円日満法師
帰寂 昭和56年12月23日
行年 77歳
得度 昭和43年2月
得度親 藤田乗憲師
義理人情に厚く、家族ですら怒っている姿を知らない程の温厚
な人柄。人を見る目に長けて「人見て法説け」の御指南の如く
人機相応のお折伏。恩師・日序上人への恩義が口癖であった。
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昭和52年正月
お孫さんの成人のお祝を清流寺 旧本堂にて
松原序円師
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吉澤序正師 一等講師 |
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本流院序正日通大徳
帰寂 平成16年4月11日
行年 61歳
得度 昭和33年9月
得度親 加藤(堯清)日流上人
15歳、中学生の時に得度。ご奉公の合間をいただき高校・
大学を卒業される。明るい人柄でいつでも人気の御講師。
まさにお寺のムードメーカー、いつもご奉公を明るく盛り上げ
られた。
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清流寺 旧本堂 開筵式
教務部一同
昭和34年11月22日
後列左より 山本乗国師、
山本堯信師、安田堯啓師、
藤田乗憲師、横須賀成明師
前列左より 吉澤序正師、
松原序弘師、本庄乗学師
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山本堯信師 僧正 |
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信流院日坦上人
ご遷化 平成30年2月10日
法寿 90歳
得度 昭和23年8月23日
得度親 高橋(應泰)日泰上人
18歳にて得度、夜学にかよい大学を卒業される。
法蝋70年にわたり清流寺の草創から先住日序上人にお仕え
し、共に激動する時代をご奉公下された。
建営ご有志勧募に尽力され、受持ち全信徒宅をお助行に歩か
れ、現在の本堂建立に多大な貢献をされた。常に受持ち教区
の教化誓願は他より先駆けて達成に勤め、永年にわたり清流
寺教講の教化の先導者。
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恩師日序上人ご奉修の
もと清流寺旧本堂にて、
義理弟・山本乗国師と
赤谷局長の娘さん哲子
姉の結婚式。
昭和41年秋
前列左日序上人ご夫妻
後列3番目山本堯信師
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